東方会は今年で結成76周年、創始者である中野正剛先生は「内なる民主主義、外なる民族主義」
をスローガンに掲げ「アジア民族自決」を夢見て東方会を結成された。
戦後、戦勝国が敗戦国を裁いたり一方的に悪と決め付ける価値観を世界中に植え付けたのと同様に、歴史の当事者が当時の情勢により積み重ねた現実を後世の現代人が勝手な価値観で評価したところで、歴史において善悪を公正に判断できるとは到底思えません。中野正剛氏につきましても今もなお賛否様々な印象が存在することは否めません。「ヒットラやムッソリニと親交を交わしたファシストである」とか「ナチスにかぶれて制服を着て右手を上げる挨拶をしていた」などという批判があります。現代はファシストは悪とされていますから、此の場合、現代の評価では中野正剛氏は悪ということになりましょうか。一方その後の東条内閣の独裁政治が始まると先頭に立って独裁政治を激しく批判しました。現代では独裁政治は悪とされていますから、此の場合、悪に立ち向かうと即ち正義であるとして中野正剛氏が善と評価されるのでしょうか。いずれにしてもファッシズムも独裁者も当然善悪も無かった一政体に過ぎなかったという事実しか残りません。
戦後中野正剛氏を研究する方が殆どいなかったため現在でも中野正剛氏の壮絶な自害は深いなぞとされています。では、なぜ中野正剛氏がこんなにも激しい一生を生きてしまったのでしょうか。それは中野正剛氏をある一面からだけでなく一生を通してみれば分かると思います。そこには「国を想えばこそ」というシンプルで強い思いが一貫してあったのです。現代人が中野正剛氏の言動のひとつひとつにどの様な評価を下そうとも、中野正剛氏の一連の言動の動機は<国を想えばこそ>としか考えられないのです。人一倍のバイタリティーで活動し、執筆し、演説した中野正剛氏は結果的には一人の人間の一生を超越した活動結果となり、一般的な思考では理解に苦しむ変化を生み出してしまったと私達は考えます。ファシズムに傾倒したかのように見える行動も、明治から受け継がれる既得権益にまみれた官僚主導への対抗と、元来持っているアジア主義、民族自決の実現へ向けた結束を象徴するための手段であったと考えられます。いずれにしても中野正剛氏の原動力は地位でも名誉でも金でも権利でのなく<国を想う>気持ちだったのです。それが本当の政治であると私達は考えます私達が引き継がなくてはいけないものは正にこの<国を想う>気持ちなのです。